3
こういう時、自分はどこにいればいいのかが、またわからない。何がエロ犬だ、と竜児は思う。あんなに、数え切れない夜ごと、これはいかがなものかと自分でも心配になるほどに、大河とのことを妄想して、おのれを慰めていたというのに。何も想像できてなかったんじゃねえか、と。
別にステイを命じられたわけでもないのに、
「あんたなんで正座してるの?」
「お、おう」
半裸の大河の横に、竜児は正座していた。
大河になんでと言われても、自分でもなんでだかさっぱりわからない。正確にいえば、正座からどうすればいいのかが、まったくもってさっぱりだ。
大河に寄り添うように、横になるといいのだろうか。しかしそうするには、この正座の姿勢からだと、かなりのアクションを起こさないといけない。腰を浮かせて、手をついて、足をおもむろにふとんの方に伸ばし――そうするしかないが、そんな動きがどうにも竜児にはわざとらしく不自然に思えてならない。それではまるで、よっこらせっと、さて、ちょっと横にでもなりますかね、なあ大河さんや……とでもいうようなものではないか。いやいっそ、そう口に出して横になればいいのか? ないない、それはない。
そんなふうにあれやこれやと悩みながら、大河を見下ろす竜児の凶眼は月光を帯びて、いやさかにスパークする。我は地獄の淫獣アザゼルの化身、へひひひっ、この可愛い娘っこを永遠の性奴へと堕とすべく、さてどう手込めにしてくれようか……とか思っているように見えるが、実際かなりライトに似たようなことを思っている。
それにしても、こう座って見下ろしていると、竜児にはどうにも大河の裸が眩しくてたまらないのだった。とりあえずとばかり、大河の顔に視線を逃して、
「寒くないか?」
そう訊ねた竜児はというと、むしろ暑いくらいだった。夜の部屋の空気はわずかに肌寒いほどだが、身体の内からの熱が皮膚をほてらせている。
「うん。平気……」
大河はそう言うけれど、竜児はストーブのところまで膝歩き、二つ強くする。大河の小さな身体は自分よりも冷えやすいことを知っているから。
そして戻ってきてまた正座。
……しまった、と気づく。今のコレすごいチャンスだったんじゃないか? せっかく腰を上げた状態だったのに、なぜ俺はそこで横にならない!? あやうくリアルに頭をかかえかけた手を下ろし、竜児は、ああそれにしても、どうして……と、じっと手を見る。
どうしてこんなにも自然であることに苦労しなければいけないんだ、と竜児は思う。虎と竜は並び立つ、それが自然というものじゃなかったのか。だから、なあ大河、並び立つのだから、虎と竜は並び寝るのも自然じゃないか……そうかあ? すげえ聞いたことない。立つが寝るになるだけで、一挙にえらい違いだ。
そもそも、こんなに悠長に悩んでいる暇など無いはずであった。こんなに不自然な間、いいかげんいつ大河の大河サイズの極小堪忍袋の緒が切れてもおかしくはない――と、竜児が焦りを通り越して本気で怯えかけた、その時。
まさに虫の知らせか、大河が口を開く。
「見るだけで、いいの?」
見てすごく興奮してくれるのは嬉しいんだけど……なんて言って、大河は伏せる目蓋も赤くする。いつもの口汚い面罵を予期した竜児はほっとひと安心。おう、そうか。そういうとり方もあるか、ナイス大河、助かった――いや、実際のところ、竜児はすごく興奮してもいるのだけど。
「……触りたいの?」
おう、とこれは竜児には渡りに船。そう大河に訊ねられれば、竜児はもう間違えない。それならさっきやったからわかるとも。準備万端、覚悟も完了。即座に答えられるぜ聞け大河、お、
「ううん、だめ」
おおおおおううう……返事すらさせてもらえないとは。
「そんな言い方だから、だめなんだ。私もうしない」
私も悪かったんだ、うん、もうやめる……などと、大河は天井を見上げてなにやらぶつぶつと。
そんな、しないなんて、やめるなんて――来てしまった。大河のきまぐれ、わがまま。つまりは竜児がもっともおそれていた中断が。
竜児の視界は真っ暗になった。きっとギラつく瞳孔は閉店ガラガラ、シャッターが降りたに違いない。あるいは蒸発するマイクロブラックホールのように爆縮、消滅。そうして心に突如広がった暗闇の深淵を竜児はさまよう。どうすればいいんだ……どうすれば。さっきからさりげなく片手で交互におさえて隠している、俺の股間のこのいきりたった手乗りドラゴンもどうすれば。
「なんて顔してんの、あんた」
「おう! だ、だって。だってえ~ン……っ」
「なに変な声出してんのキモい」
そんな絶望をさらにえぐるようなヒドい言葉とうらはらに。だけど、クスッと、大河は竜児に優しく微笑んでくれるのだ。微笑んで、そうして、大河は竜児に両手をひろげてさしのべる。
「ほら、ぐずぐずすんな、馬鹿犬」
ひどい言葉を、驚くほど甘やかに囁いて。
そこにいたのはほんとうの天使。
嘘か幻かと、つい竜児は目をこすって。
「おう!? いいのか? だって、おまえ今、やめる、って」
「やめる? ああ、うん、やめるよ。竜児を試すような言い方。もういいの、わかったから。私、もう知ってるから」
竜児が、本当にほんとうに私を求めていること――そう、大河は言うのだ。さしのべられた手と手の向こう、綺麗な顔を真っ赤にして、それでも視線もそらさずまっすぐ竜児を見つめて。
「大河……」
「バカなあんたのことだから、私に何をしたらいけないのか、わかんなくて困ってたんでしょ? 何をしたら私が怒るのか、私が不機嫌になるのか、私が嫌がるのか……ううん、何をしたら、私が、喜ぶのか。わかんなくて、固まってたんでしょ?」
「まいった……そんなことまで、わかるのか?」
当然でしょ、バカね……と、大河は笑って。それは竜児が愛する笑顔で。だから、竜児はほんとうに安らかな気持ちになる。
「だから、私ももう、触りたい? なんて訊ねたりしない……ね、竜児」
「おう」
「竜児、ね……触って?」
安らかな気持ちになれたのは一瞬だけだった。こんなことを言われて、安らかでいられる男なんて、興奮しない男なんていようものかと。
しかしここでもさすがに大河は虎、獲物を追い詰めるのに容赦はないのだ。
「来て、竜児……触って。竜児の、好きにして。私を、竜児の好きにして。私に、竜児のしたいこと、ぜんぶして。私、嫌がらないから。怒ったりしないから。だから私に、私のカラダに、竜児がしたいこと、ぜんぶしてね? 私のぜんぶ、あげるから。私は竜児のものだから。私はぜんぶ、竜児のものだから」
だから竜児のしたいこと、私のカラダにぜんぶしてね……と。
大河は、ほんとうに、容赦が、ない。
くらくらと、竜児はめまいがしそうだった。からだじゅうが熱くなる。とりわけなんだか鼻の奥が熱い。やばい、鼻血を出すんじゃないか、俺は――すると大河はさしのべた手で竜児の手をとって、
「私、あやまらないから」
そう言って、裸になった自分の胸へと押し付ける。
4
「私、あやまらないから」
「おう。って、な、何をだ?」
「だから、あやまらないから。これが私だから」
だから、命令するの……と、大河は言うのだ。命令という、その言葉の強さにはとても似つかわしくない、儚くて甘い声音で。
そうして大河は指先までほてらせた手と手で、竜児の手と手をとって、自分の薄い胸へと導く。その驚くほど柔らかで、小鳥のように熱く、竜児の手のひらに痺れるような初めての快感をもたらす肉を、大河は、これ、と。
「これ……ちいさな胸、好きになって」
「お、おう」
「違うの。私だから……私の胸だから好きになるんじゃあ、だめ」
すぐさまの返事を用意していた竜児は、しかし、大河のその言葉の意味の見えなさを前に、思わず声を呑むほかない。
不意を突かれて目をかすかに見開いた竜児のために、竜児の心に自分の言葉がすとんと落ちるのを待つように、間を置いてから、
「ちいさな胸が好きなひとになって、竜児」
大河は薔薇の唇をふるわせて言った。
手のひらの下、そのちいさな胸の奥に、竜児は大河のちいさな心臓を感じていた。自分よりも早く、きっと強く。その早鐘のような鼓動が竜児にはたまらなく愛しい。
その血が薔薇の唇を染めるのだと思う。
その血が大河に語る力を与えるのだと思う。だから。
竜児は、大河の言葉を決してとりこぼすまいと耳を傾ける。
「私。私、ね。竜児の目が好き……だけど、それは、竜児の目だから好きなんじゃあ、ないの……ううん、初めはそうだったのかもしれない。でも、でもね、今は、その……鋭い、おっかない、目が好き。かっこいい、って、そう思う。だから、それだから、そんな目の竜児が、ずっと、もっと、好き……」
はっきりと、しっかりと、確かめるように。
竜児の目だから好きなのではない。竜児が好きだから、そのおまけで、その目が好きなのではない――そう、大河は言うのだった。そうではなく、もう、その目が好きなのだ、と。竜児のその目はもう魅力で、だからいっそう、その目を持つ竜児のことが好きになるのだ、と。
その目は竜児の魅力なのだ、と。
だからね、と、大河はふりしぼった勇気で睫毛を震わせて、重ねた手の指先を震わせて言うのだ。だからね、と。
「ちいさな胸が好きなひとになって、竜児。そうして、それだから、もっと、ずっと、そんな私のことを好きになって……」
だからまた、応える竜児の声がふるい立ったのは。きっと、大河を心から安心させたいという思いのためだけではなくて。
「……おう!」
竜児は感動していたのだ。
大河は、その薄い胸をこそ魅力だと感じて欲しいと願うこの女は、その願いを竜児に伝えるために、そしてそれと一緒に、竜児が自分の目つきに抱き続けてきた苦くて複雑な思いすら、吹き飛ばそうとするかのようだった。まるでついでのようにして。
「おう!」
この目は魅力なのだと言う。そう言うのは、ほかの誰でもない。自分ですらない。
大切な女がそう言うのだ。竜児にとってさえ嘘のように、自分よりも大切だと思える、この女が、大河がそう言うのだ。
だからそれは自分を越えた本当に、真実になる。
「おう!」
そして竜児は思う。大河、お前は最高だ、と。
俺はほんとうに、最高の女をつかまえたのだと。
そんなに何度も返事しなくていいわよ、と大河は言う。嬉しそうに、満足そうに、目を細めてみせる。
「よし、おっぱい触ってよし!」
「おう……てかもう、触ってるぞ……?」
「うう……い、いじってよし……」
「俺もおまえのその、ドジなところが好きだぞ?」
「うるさい。それは直す。いいからあんたはとっととそのエロ犬脳みそで日夜あたためてきたどエロい妄想をぞんぶんに私のカラダにぶちまけるがいい」
「……そのひどい口ぶりも好きだぞ……た、たぶん」
「うるさいってば、だから……あっ」
手のひらで大河のちいさな胸の先をころがすようにする。すぐに硬くしこったそれは、きっと真珠のようだ。だから竜児はそのままに、もう迷うことなく言う。
「真珠……みたいだな?」
「はっ、ち、違うもん。そ、そんなんじゃないもん……あっ、あっ!」
「あんまり可愛い声出すなよ……俺が溶けちまう」
「か、かかか可愛くなんか、ないっ! はっ、はっ」
薔薇色の唇から桜色の舌を出して、大河は子犬のようにあえぐ。身をよじる。匂わずにはおれない花のような大河の匂いが立ちのぼり、竜児の脳を痺れさせる。
「だめだね。おまえは可愛い。可愛いよ、大河」
「お、おかしくなるってばっ、そんな……っ」
長い睫毛を甘い涙に濡らした瞳で、大河はくやしそうに竜児を睨みつける。
「だめだよ。……睨んでたって、もうおまえは可愛い」
それに、こうしたかったんだ、ずっと……と、竜児は微笑んで、そして言葉をつなぐ。
「ずっとだ、大河……初めておまえと廊下で出逢ったあの時に、俺はおまえを可愛いと思った。その時からずっと……俺は、おまえを、ずっと……ずっと可愛いと思っていた」
驚いて、大河の瞳が大きく見開かれる。
「……う、嘘っ!」
「ずっと可愛いと思って、でも言うことができなかった」
「う、そっ……」
「だから、いつかこうして……おまえは可愛い、可愛いって言いながら、こうしたいって、思っていたんだ……大河。俺の、したいようにしていいんだろ? 俺の妄想どおりに。だからそうする。これが俺の妄想だ。だから」
大河、可愛いよ、大河……と、竜児は。
くうっ、と、大河は白いのどから声をもらす。わずかに開いた唇から、小さく綺麗にならんだ歯を食いしばるのが覗く。身体じゅうを弄られているかのように、身をよじる。くやしくて、必死で毒づこうとする。
「そ、そんなにやさしい顔するなあ……っ」
「俺のこの顔がやさしい顔だなんて、わかるのもおまえだけだよ。大河、手をどけて」
竜児の手の甲に重ねられた、桜色の爪までもがちいさな大河の手を持ち上げるようにする。
そこにあるのは、プールでも、まして夢でも、はっきりと見ることが叶わなかった大河の乳と、そして……
「おう……ほら、やっぱり真珠じゃないか」
「……っ! し、知らない……っ!」
大河は息もたえだえ、こんどは両手で顔をおおい隠す。
(この章おわり、5章につづく)
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