11
「だーめだ」
足もちいさいのだった。本当に人形のようだと、竜児は思う。足の指もちいさくて、その先に大河の手の指の爪と同じ色をした、けれど竜児のどの指の爪よりもちいさな、桜色の爪がちゃんと生えている。
竜児は捧げ持つようにして、大河の足の指にキスをする。
「いいじゃないケチ……あっ」
口づけするほどに近づいた竜児から見れば、それはミルク色の細くなめらかな柱。立てられた脚の向こうに拡がる淡い色の髪の雲に浮いて、大河が薔薇色の唇をとがらせて不服そうな表情を向けている。
「ケチとかそういう問題じゃねえだろ」
「いいじゃない減るもんじゃなし……だめだってば、そこ、汚い……っ」
「おまえに汚いところなんかひとっつもねえ。……減るもんじゃなし、なんて、普通男が言うセリフだろ……」
「差別、ヨクナイ……キ、キスだけでいいでしょ? しゃぶっちゃだめだってばっ。あう……っ。……もー、いいもん、右手の匂い嗅いでやる」
「は? 右手の匂いって……わっ、バカ、おまえ、よせ!」
「ふんがふんがふんがふんがふんが……はー……竜児のソレの匂いがするわ……」
「嘘っ、マジで!? バカやめろ汚いっ」
「あんたに汚いところなんてひとっつもないんだぜ」
そう言って大河は、ニヤリと。
議論中、なのである。ふたりは。これでも、一応。
お願い竜児、初めては何もつけないでして……そう、甘やかにも切れぎれに、大河は竜児に懇願したのだった。避妊具を、ゴムを、つまりはコンドームを、最初はつけないで竜児のを挿入してくれと、そういうことだった。
大河はしかもそれを、挿入予定の穴で竜児の指をぎゅうぎゅう締めつけて、あのいかにも大河らしく滅茶苦茶でやらしくて可愛らしい、イく姿を晒しながら頼んできたのだから、たまらなかった。竜児は本当に、脳裏にせめぎあう天使と悪魔を見た気がする。
ねえねえ竜児、このえっちな穴にナマでハメるとすっごい気持ちいいんだって! 射精もオッケーだってさ! いこいこ!……と、文字通り手乗りサイズの裸の大河の姿をした悪魔が言い。
だだだだめだっての! ちゃんと避妊しないと赤ちゃんができちゃうでしょ!?……や、やぶさかではないけど……そう言う、やっぱり超ちっこい天使の大河の方は全身ピンクのあやしいラバースーツを着ていた。なんか逆じゃねえ!? とすかさずつっこんだ竜児だったが、逆ではないのかと一人で納得した。
やがておちついた大河にさっそく問いただしたところ、竜児の早合点があったことも発覚した。
大河のお願いは正確にはこういうものだった。
最初に挿入する時だけゴムをつけないで欲しい。そしたらすぐ抜いて欲しい――つまり中で射精してはいけないのである。当然だよな当然ははははははは……そう空笑いした竜児だったが、むしろ当然中出しかと最初に考えてしまっていた自分の欲望の深さに内心、恥じ入るばかりであった。
さてそこで問題なのは、ゴム無しで挿入して射精せず抜いた場合、それも避妊したことになるかどうかだった。
遺憾なことに(?)、大河も竜児もその答えを知っていた。いわゆる膣外射精と呼ばれるその行為は、避妊とはとても呼べない確率で妊娠することもあるのである。勃起した男性器の先からにじみ出てくる透明な分泌液(大河に吸われた……)、透明な蜜みたいと大河が呼んださっきのあれ(大河に吸われたんだよ……)、あれにも精子が混じっているからだ、とふたりの知識も一致していた。
さてそこで議論になった。
大河は、処女を捧げるのにゴム越しなのは抵抗がある、妊娠の確率もちょっとは下がるだろうしいいのではないか、と主張し。
竜児は、処女ゴム云々についての大河の気持ちもわかるが、やはり避妊とはとても呼べないやり方はよくない、と主張した。
そんな意見の違いはあれど、それでもやっぱりどうしてもつながりたい、そこはふたりは共有していて。
どうしてもつながりたいから、いちゃいちゃは止められなくて。
自然と、ながら議論になっていた。
かくして変態爆発竜児の大河全身清掃、もとい、全身キス責めの続き(特に下半身)は着々と進む一方、議論の方は平行線、遅々として進まないのである。
「ねえ、ちょっとだけ。ちょっとだけだから。先っぽだけでもいいから。大丈夫、中で出さなきゃ妊娠しないから」
「だーめだ、って。可能性あるのおまえも知ってるだろうに。てかだからそれ完全に男側のセリフだろ!?」
筋肉も美しい、流れ落ちるミルクのような大河の細っこいふくらはぎに口づけしながら、竜児の凶眼は狂おしく火花を散らす。大河のこの白い脚を流れる血潮に牙を突き立てたいと、吸血鬼としての眠れる本性があらわになったわけではない。食べちゃいたいくらい可愛いとは思っているが、たんに困惑しているだけなのだ。
争う天使と悪魔を見たと思った竜児たが、実際のところ目の前には悪魔しかいないのだった。しかもこの悪魔もやっぱり裸で、やたらと小柄だが元気で可愛い。そんな降臨した裸の悪魔こと大河は、堂々巡りに踊る議論のはしばしで、
「お願い、初めては竜児をナマで感じたいの……」
とかと、祈るみたいに両手を組んではちいさな乳にぷにゅと押し付け、さらにはその大きな瞳を、腹黒美少女としてお馴染みのどっかの悪友ばりにキラキラキューンと輝かせたりなんぞしてまで、哀願してくるのだから竜児には厳しい。惚れた弱みにつけこむとはまさにこのこと。脳裏にお住まいの方の悪魔な大河ミニさんまで「お願いりゅうじぃ~」なんて復唱してきてこれじゃ二対一じゃねえかと。あやうし竜児、なのである。
実はむしろ、大河がまだふざけ半分に腹黒様のマネとかしているうちはマシなのだ。それがわかる分、竜児としても冷静になれるというものだった。だけど、もし。
普通に、素の大河に、あの寂しそうな切なそうなツラで同じ言葉を吐かれた日には――本当に俺は狂ってしまうかもしれない、と竜児は思う。それを思うと、おまえどこまで本気なんだ……なんて引き金を引くようなことは、怖くて訊けたものではないのである。
とはいえ、それとこれとは話は別とばかり、竜児は大河の足の裏にだって唇を捧げる。せっせとちゅっちゅと。
「あひゃひゃひゃひゃひゃ! くすぐったいわバカタレ!」
大河は身をよじり足をひっこめようとするが、竜児は両腕で足をがっちりホールド。もう片方の足でげしげし蹴られようとひるまない。なにせそんな大河の蹴りからは普段の暴虐の力がすっかり抜けていて、
「……もう、竜児の変態……っ」
かわりに大河の声には切ない乙女の響きが宿ったりもするのだ。なんだかんだで大河は大河なりに竜児に「手込め」にされてしまっているのである。
「だいたいコ……コンドーム買ってきたのはおまえじゃねえか」
「だから後でそれもちゃんと使ってって、言ってるじゃない。それに買ってこなかったら、竜児はえっちなんかしようとしないでしょ? なんか見てると辛くって」
「当然だ。……って、何だって? 見てると辛い? 俺をか?」
「そう、竜児を。だーってさ、もうずっと。竜児ったら、手は握ったら汗だく、目は血走ったまま、そのくせ私のこと盗み見しまくり。ちょっとでも近寄ったら顔は真っ赤にするし、鼻息は荒くするし、なんかハァハァしてるし。私にやらしいことしたい、えっちがしたい――――っっっ!……って、バレバレなんだもん」
手が、と言われては手を離し、目が、と言われては目を手で隠し、顔が鼻息がハァハァがと言われては隠しようもなくなった竜児は大河の足元で丸まって貝になる。もし生まれ変わることが出来たなら、俺は貝になりたい。大河とえっちが出来ないような貝に……それは嫌だ! と自己完結して、引きこもるすんでのところで貝殻の隙間から気管のように話すための唇を出す。
「……俺、そんな、だったか?」
「うん! すっごくそんな感じ! まあ、嬉しかったんだけどねへへへ……って、こーら貝、閉じるな。ちゃんと人の話を聞け」
力も抜けているためかひどく優しい具合で、大河は竜児の頭にこんこんと踵を下さる。
「……ほっておいてください。俺は深海の一介の貝。大河さまをえっちな目で見まくった罰で、貝に生まれ変わったのです。ほっておいてください……」
はあ……と大河がため息をつくのが聞こえる。やれやれ……ともおっしゃられたかもしれません。
「それじゃあ、私も貝にならないとね」
そうおおせになって、大河さまも貝に……って、
「え?」
つい、竜児は貝殻をわずかに開いて聞き耳を鋭くする。
「私も、竜児のこと、えっちな目で見てたもん。貝にならなきゃ。竜児と一緒に」
「大河……」
「竜児が私のこと意識してるの、観察している時はわりと平気なの。嬉しいな、楽しいな、って……からかう余裕もあるくらい……だけど、それ以外の時は、だめ」
そこで言葉を区切って、つい大河は唇をそっと噛んでしまう。伏せ目にした長い睫毛も震わせ、大河は少し迷ってから勇気を出して言葉を続ける。
「竜児が物思いにふけっている時とか……竜児は何考えてるんだろうって、竜児のことわかりたいって、思うんだけど、気づいたら竜児の唇を見てるの。竜児の唇のことばかり考えてるの。髪の毛を見て、触りたい、って思うの。腕を見て、抱っこされたい、って思うの。手を見て、撫でられたい、って思うの。背中を見て、しがみつきたい、って思うの。竜児のこと、ぜんぶぜんぶぜんぶ欲しいって……そう思うの」
だから、私も貝にならなきゃね……なんて、大河は言う。
大河の欲望の告白をひとつひとつ聞くたびに、胸があたたかくなるのを竜児は感じる。少しもいやらしいなどとは思わなかった。竜児は嬉しかった。自分のこの、なんのへんてつもない身体を、美しくもなければ取り柄もないこの身体を、その髪の毛の先までをも、大河は欲してくれるのだった。狂おしいほどに恋人の身体を求めることが、自然なことかどうかなんてわからない。けれど、好きなひとから求められることは、心から幸せなことだと竜児は知る。だから貝になる必要なんてないのだ、大河も……そして、自分も。
「貝になんてならなくていい」
「竜児……」
「嬉しいよ、大河……」
竜児の殻が割れる。顔を覆う手を解き、顔をあげた竜児は目の前の光景を見て、
「……大河さまが貝になられた……」
ちょっと狂っていた。
「ヘ? 私が貝?……あんた貝ってまさか!?」
顎を引いた大河は見た。
大河の股間に鼻を突っ込むようにして見入っている、寄り目も血走って鼻息も荒い凶悪犯ヅラの最低男(恋人・17)の姿を。
「貝とか死ねこの変態っ!」
危機を察知した動物の本能が人間の愛を越えた悲しい瞬間であった。迷わぬ罵倒に振り上げた足を一閃、大河の渾身の踵落としが竜児の後頭部に決まる。だが、しかし。
「あひっ!」
叫んで意識が飛びそうになったのは大河の方だった。渾身のはずの一撃はやはり脱力していて、竜児の頭を後ろから押す格好、竜児の顔面を大河の股間に突っ込ませたのだ。しかも鼻先はモロに大河の秘貝(命名・竜児)に突っ込んでいた。そのうえ。
何をされたのかはわからないまま、どうなっているのかはわかった竜児は、やっぱりちょっと狂っていたのかもしれない。
「……」
竜児は無言のまま、ぺろり、と。
「あはっ!」
口からも鼻からも盛大に息を吐いて大河は悶絶。一度だけ腰を跳ねさせる。二度目が無いのは、大河のふとももを竜児が両腕で下からがっしりホールドしてしまったからだ。
「……なぁ大河、ここ、キスまだだった。キスしていいか?」
「ななな舐めてから言うなっ! やだだめだめ絶対汚いからだってそこ」
ぺろん。
「あひゃっ!」
格別に変な声が出てしまうのだった。跳ねるはずの腰が固定されているものだから、腹筋をするように大河の上半身が逆に跳ねてしまう。
上体を起こしたまま静止するという腹筋運動じみた姿勢で、大河は触りたかった竜児の髪を存分にわしづかみして、押しはがそうとする。
「だ、だめだってば竜児! そこおしっこするところだしそれにそれに」
ぺろん。
「あーっ! 違うの舐めて欲しいとこ言ったんじゃないおしっこの穴舐めちゃだめ」
ぽかぽかと竜児の頭を叩くけれど、どんどん力が入らなくなっていく。
ぺろぺろ。
「あーっ! あーっ! へ、へんたいっ、りゅうじの、へんたい……っ!」
そんなとこを舐められるなんて、大河は想像すらしたことはなかった。恥ずかしすぎた。そこがこんなに気持ちいいなんてことも、知らなかった。もう一度竜児の髪を掴もうとするけれど、嬉しくてもっとしてって撫でているみたいにしかならない。違うの、って言おう。言わないと。おしっこの穴を舐められるのが好きな変態だって、大好きな竜児に思われちゃう。
「ち、違うの、りゅうじ……」
大河の茂みに鼻をうずめるようにしていた竜児が目を開く。そんな光景も恥ずかしすぎた。大河は大きな瞳を開いたまま竜児の視線を受け止めるのも辛くて、つい目をそらしてしまう。
「おう、そうか。すまん……」
大河の言葉は通じたのだろうか、竜児は謝ってくる。べつに謝らなくていいのに、って思う。
竜児は大河のふとももを抱えたまま、右手の親指を恥丘の茂みの下に押し当てる。大河は震えて、なにをされるのか気になって、盗み見てしまう。きっと竜児にえっちなことをされると、教えるように奥のところが甘く鋭く疼いて、切なくなる。その時、竜児の親指が持ち上げるようにわずかに動いて。
「……っ!」
大河は剥かれてしまった。もう裸なのに、もう一度丸裸にされてしまったかのようだった。大河は驚いて息をするのも忘れて、煌く瞳をめいっぱい大きくする。大河からは見えないけれど、そこがひんやりとした空気に触れて、剥き出されていることがわかる。竜児がそこをじっと見ていて、殺したいほど恥ずかしい。まだ熱くなれたのかと驚くほど顔中がほてって、耳まで熱い。そこはさっき包む皮の上から竜児の指にさんざん弄ばれたところ。大河の、クリトリス。
そんなこと竜児にされるなんて、信じられない。さっきお風呂に入った時、ちゃんと綺麗にできていただろうか。でなきゃ死んじゃう。竜児はじっと見つめるばかりで、黙っていて、大河は怖くて何も言えない。あんな変なところ、竜児の目にどう映るかなんて。もし褒められたって、信じない。真珠なんて言ったら殺してやる。
竜児の口が動く。お願い何も言わないで!
ふっ。
「はあっ!」
大河の身体が跳ねる。身体は快感が爆ぜたように反応して意識が薄れてしまうけれど、なんて……なんてなんてなんて屈辱。
ふっ、ってされた。竜児にそこを、ふってされた。息を吹きかけられた。ふってふってふってふってふって!
なんなの? 馬鹿にされたの? それともそれも愛撫なの? 優しい目をして微笑んだって駄目! もう決めた。もう決めた絶対決めた竜児を殺して私も死ぬ。
大河は本物の殺意をこめて竜児を睨みつける。竜児が何を言ったって駄目。ふたりで死ぬのこれ決定。問答無用、聞く耳はもたない。
「大河……ここにキスしたい」
もうやだ。なんなのこのカラダ。その言葉を聞いた途端、そこの奥がずきずきずきずきっ、って熱く疼いてたえられない。がくがく震えて止まらない。聞く耳もたないって何なの? 意味ないじゃん私聞いたし聞こえちゃったし。竜児が私のそこにキスしたいって。可愛がりたい、愛したいって。そこ変なとこなのに。頭がぼうってする。だって、キスなんて、
「キスなんて……っ」
駄目って言わないと。だってずきずき止まらないんだもん。もう溶けてるみたいなんだもん。竜児は可愛いなんて言ってくれるけど今も変な声が出そうなんだもん。まだキスされてないのに。キスされたい。うっさい黙れ! もうこんなに溶けてるのにキスなんかされたら私だけ死んじゃう。そんなのずるい。竜児も一緒に死んでくれないんならやだ。やでしょ?! キスされたい。だから駄目って言うの。キスして。だから駄目って!
「だ、め……っ!!」
い、え、た、よ……?
竜児は大河のクリトリスにキスしていた。唇をすぼめてわずかに開き、唇にはさむように。ちゅっ、と。そして唇を離して様子を見る。
「……っ! ……っ!」
大河は瞳をぎゅっと閉じて息も詰めて、竜児の頭を抱えるようにして何度も跳ねた。淡色の髪が揺れ、肌に結んでいた汗が飛び散る。
竜児に剥かれたそこを、キスされたのだった。ぜんぶしてね、と大河は言った。ぜんぶあげる、と大河は言った。けれど、そこを剥かれてキスされるなんて、考えてさえなかった。でも何かをあきらめて、大河は嬉しかったのだ。そこも竜児のものになったんだって、思う。もっとキスしていいよって、思う。だってもう、そこも竜児のものだもん。でもやっぱり駄目かも。だって、そこ。
ちゅっ。
「あうっ! そこ、すご……っ!」
……すごいの。一瞬、頭の中真っ白になる。身体が勝手にあばれちゃう。竜児が悪いの。竜児の唇が特別なの。気持ちいいとかそんな穏やかなのじゃない。触れたら熱くて甘くて中毒になる。もっとして欲しくなる。もっとして欲しくて、同じところを捧げてしまう。カラダが勝手に大河の股間を竜児に突き出してしまう。知らない筋肉が動いて、息するみたいにそこを何度も疼かせる。おねだりするいやらしい身体。なのに。
なのに、竜児は、キスをやめてそこを見ているだけ。
「や、やめちゃう、の……?」
大河は言ってしまう。言って、おねだりに聞こえたろうかと心配になる。すぐに、どうして竜児はやめたのかと不安になる。今までの時は、駄目と言ってもやめないで、最後まで……イクまで、可愛がってくれたのに。これが竜児の意地悪だったらいい。でも、もし。
嫌になったのだとしたら。
嫌になったのだろうか。やっぱり変なところだから。だってまだ竜児、褒めてくれてない。可愛いって言ってくれてない。綺麗だよって言ってくれてない。真珠みたいだ、なんて言ってくれてない。別な涙が瞳にあふれそうになる。要らないと思っていた言葉が今は欲しい。キスがだめなら息ででもいいから可愛がって欲しい。
だって好きだから、怖いんだもん。
とうとう竜児は、目をぎゅっとつぶってしまった。
「りゅ、竜児……?」
大河は慌てた。ぜんぶひっくり返ってしまう。息でもいいから愛撫が欲しくて、なんでもいいから褒めて欲しくて。そして今は、せめて見ていて欲しいのだった。でも竜児はぜんぶ止めてしまった。でもどうしたらいいのかわからない。怖い。もう、竜児の中断は意地悪なんかじゃない。もし、嫌になったのだとしたら……嫌にならないで、なんて、言えない。言っても意味がない。どうしたらいいのかわからなくて、大河は名前を呼ぶしかなくなる。
「竜児……」
「駄目だよ、大河……」
苦しそうな竜児の声。
駄目って、竜児は言った。駄目って、駄目って。やっぱりそうなんだ。とうとう涙があふれてしまった。瞳をめいっぱい拡げたのに、溜めておけない。嫌われたんだ、竜児に、あそこ、変なところ……大事な、ところ。身体からは力が抜けてしまっていた。涙を流す機械になった。何も考えられなくて、きっと私、消えてしまいたい……。
違う。私、こんな子じゃなかった。しくしく泣いて消え入ろうとするような娘じゃなかった。変えられてしまった。竜児のせいだ。私は怒る子だったのに。どうしたらいいのかわからなくて怒る子だったのに。そうだ。
大河は、怒る子。
「駄目なんて駄目えっ!」
「大河……!? うわなんでおまえ泣いてるんだ泣くな泣くな!」
声に驚いて竜児が目を開けると、大河はものっすごい睨み目でしかもどばどば泣いていた。竜児は大河のももを抱えていた腕を解いて、焦って大河の身体を駆け上がる。顔に顔を寄せる。睨む大河に竜児の凶眼、はたから見れば竜虎抗争勃発、流血必死逃げろや逃げろのガンつけである。
「どうした大河、泣くなよ……」
「うるっさいっ! 嫌われたら泣きもするわ! なんで見ないのよせめて息吹きかけろ真珠とか言え! 駄目とか許さん変えた責任をとれ責任を! よっしゃなんか元気出てきたあっ!」
大河が言うことは滅茶苦茶だった。
「おう、元気になったなら嬉しいが、おまえが何を言っているのかさっぱり意味がわからねえ」
「なら考えて! シンク! 間違えたら噛む! ……目をそらすなっ!」
噛むなよ……と思いながら、何と言われたか記憶をまさぐろうとして、竜児が目を斜め上にそらすのも大河は許さない。大河はその間も竜児の目をねめつけ、間違えるなよ、間違えるなよ、と繰り返しては、こうだとばかりにちいさく並んだ綺麗な歯をカチンカチン噛み鳴らすのだから、何かを考えるにはこれ以下はない最悪の環境だった。
だがここは是非とも俺にお答えいただきたい。大事な大事な……大河、は。
「……嫌われた、とか言ってたな、おまえ」
「ちっ、正解……そうよ、あんた嫌いになったんでしょ私の……あそこを。だからキスもやめて……だから駄目なんでしょ……うぐぐ」
泣くのがくやしくて、歯を食いしばって我慢するけれど、大河の瞳は星を揺らして涙を落とす。それでも一切ごまかされはしないと、視界に揺らめく竜児を睨みつける。けれど。
竜児は笑いも、苦笑も、微笑みもしなかった。
謝りもしなかった。褒めもしなかった。まして怒ったりもしなかった。
ただ竜児は頬を赤くして、ぼそっと。
「おまえのを見てると、つながりたくてたまらなくなるんだよ」
「嘘っ! ……ん、ん?」
「おまえのにキスすると、気が狂いそうになるんだよ、俺は」
「んんん……? もうちょっとわかりやすく言って」
「おう……つまりだな、なんもつけないでいきなり、ハメ、たくなるんだよ」
「……そうすればいいんじゃない?」
「だから、俺はちゃんと避妊したいの。なのにそうしたらおかしいだろ? それじゃ俺が狂ったっていうことになるだろ?」
「……おお、なるほど」
左手を臼に、右手を杵にして、大河はポンと手を打つ。
「わかったか?」
「いやちょっと待ってくださいよ……?」
と、大河は今度は右の人差し指を額に当てて推理の構え。別に俺は犯人でもなければ、クイズも出しちゃいねえよな……? と、竜児は思わずにはいられない。
やがて探偵大河は竜児に人差し指を突きつけて。
「……するとあんたは別に私のあそこを嫌いになってない、と?」
「と?じゃねえ。嫌いなわけねえじゃねえか」
「『嫌いな、わけねえ、じゃねえ、か』?……嫌い、否定、否定、疑問……難しいっ! 好きか嫌いかでどうぞ!」
「好きだよ」
「……ほんと? あ、じゃなくって。あの、特にその、最後にキスしてたあたりなんかは?」
「最後に、って……す、好きだぞ?」
「おお……っ。ちなみにたとえて言うと何? 比較的いい感じのが嬉しいんだけど。宝石とか素敵なのがいい」
「大河……おまえは一体何を言って」
「あーっとひとつ忘れてたあ! こっち大事かもこっち優先で。ねぇ竜児、何が駄目なの?」
「おう……すまん、今度は俺だ。もうちょっとわかりやすく言ってくれ……」
「察しの悪いボンクラねえ……だからさ、竜児が私のあそこにキスするのやめて、駄目だ、とかなんとか言ったでしょ? あれ何?」
「そこに戻るのかよ!? ……だから、俺がおまえのにキスするだろ?」
「ふんふん」
「おまえは可愛い声とか出すだろ?」
「ふんふん……っ」
「おまえは可愛く震えたりするだろ?」
「ふっ、ふんふん……っ」
「すると俺の、が、すごく勃起するだろ?」
「……そ、そうなの?」
「そうなの。……すると俺はまさにそれをハメるところにキスしてるわけだろ?」
「……っ」
「唇で触れているところ、目の前がそうなわけだろ?」
「……」
「そんなとこにキスしてたら我慢できなくなるだろ? 議論の結論も出てねえのに」
「……」
「だからキスはしたいけど出来ない、だからもう駄目だ、と。ほらつながった」
「……」
ところどころで律儀にふるふる震えたりしながら、大河は竜児の説明をおとなしく聞いていた。毒気は完全に抜けてしまっていた。あそこが嫌われたわけではないと知って、嬉しかった。けれど。
元気も消えてしまっていた。竜児にそんなに我慢させていたということも、知ってしまったから。
「そんな顔するな」
竜児はそれでも微笑んでくれる。竜児の我慢を大河は勘違いして、ドジな早合点して、変な難癖に付き合せたのに。
「嫌われたなんて思ったのか、バカだなおまえ……」
バカと言われて、やっと大河の気持ちは少し軽くなる。竜児は頭を撫でてくれて、大河の額にキスしてくれたから、やっと大河も唇をむにゅむにゅ波に結んで、微笑むことができる。やっぱりこのひとが世界で一番、私を上手に可愛がってくれる、って思う。
「もっといっぱいキスしたかったよ、大河。おまえのに」
大河はつい竜児の唇を見てしまう。思い出して、すぐにへその下がずきずきと甘く疼き出す。顔がほてって、つい鼻息を漏らしてしまう。
「おまえはどこもかしこも可愛くて……可愛すぎて、俺にはもったいないくらいだ」
はっとして、大河は瞳を大きくする。せっかく竜児が止めてくれたのに、また涙があふれてしまう。なんて泣き虫。
「そんなことない! 何度言ったらわかるの!? 竜児じゃなきゃだめだもん! 竜児じゃなきゃ、私……っ!」
大河はとうとう絶句してしまう。いっぱいいっぱいいっぱい伝えたいことがあるはずなのに、胸につかえて出てきてくれない。どれも的外れに感じてしまう、あいまいな言葉の雲みたいなところから、ようやく思い浮かんだことを、大河は唇をとがらせて、ひとつ呟くのがやっと。
「……何度もなんども好きになるの、竜児だけだもん……」
竜児は涙で頬にはりついた大河の髪を指で梳き取って、親指で目元を拭ってくれる。
「あんまり泣くな、頭痛くなるぞ」
「あんま泣かせんな、竜児のバカ」
言って、悪口だけは快調なのに、って、大河は思う。そして思いつくのはぜんぜん関係のないことばかり。
「ねぇ竜児。のど渇いた」
「おう、そりゃそうだろ。お茶とってやる」
そうしてよつんばいになってペットボトルに手を伸ばした竜児を見て、また大河はそれとあまり関係のないことを思いついたから、言ってみる。
「あのね、竜児」
「おう」
「ゴムつけて、していいよ」
竜児の手からペットボトルが落ちた。
(この章おわり、12章につづく)
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