「まだって、おまえ、なんだかんだで、もう夜の1時まわってんだぞ?」
「いいじゃないべつに。充分まだじゃない。私、3時だか4時だかまでいたことあるでしょ?」
「たしかにそんなことも何度かあったけどよ。そりゃおまえあれだろ? たとえばついこないだとか、
テレビで新作ルパン映画見出したらものの10分でおまえが沈没、俺も頑張ったけどまさかの
クライマックスど真ん中ラスト10分で耐え切れず轟沈。そのまま二人でド爆睡決め込んで、
俺がうはぁと飛び起きたら4時10分前だった、とか、そういう場合だろ?」
「そうだっけ? あんま覚えてない」
「そりゃそうだろうよ。記憶もねえだろうよ。大変なんだってそういう時のおまえ。
まあ起こしても全然起きやしねえ。涎もたらして人事不省、機嫌も悪くならねえくらいボケーっとして、
偶然なんだかなんなんだか、振り回す拳は俺のレバーやテンプルやチンとか的確に急所突いてくるし」
「えっ? 嘘!? 私あんたのチンP―!とか殴ったわけ!? なんてことさせんのよこのドマゾ変態野郎!」
「いやもうほんと勘弁してくれ。それは拾えねえわさすがの俺も。チンだよチン、ここ、顎!」
「いやあっ! ばっちいっ! 腐るっ! あんたちょっと消毒っ! おっ、オキチドール!」
「オキシドールだろそれ!? 狂った和人形みたいになってんぞ!? ってかだから顎だって!
ひとの話聞けよ!?」
「それそれ! いいから早くあんたのその、お、オチチドール! よこしなさいよ!?」
「もっとヤバイ人形になってんじゃねえかしかも俺所有!? てかだから顎! おまえ殴ったのはここ!
顎だっ!こおおおっっっ!? ……痛ぇっっ! な、なんでいきなり殴るんだよっ!?」
「えっ? だってあんた、消毒より先に俺の顎を殴ってウサを晴らせって言うから。
私が寝惚けてるのいいことに、ほれほれうひひってあんたのチンP―!を触らせたお詫びだからって」
「俺が言ったことが残って無さすぎで竜児くん的にももうどうにもならねえよ……
寝惚けたおまえに触らすとかもう単なる犯罪じゃねえか。まあ、いいから落ち着いて聞いてくれ、大河。
おまえはたしかに寝惚けてはいたが」
「ふぁ~あ……騒いだらなんだか眠くなっちゃった。私、帰って寝るわ。じゃね竜児」
「お、おおおおおぉぉぉぉ……ぅ。な、なんて……なんて雑な女なんだ、おまえって奴は……
眠けりゃ話は聞かねえわ、誤解したままなのに消毒もしねえで寝るだとか、ど、どんだけ」
「あ、忘れてた。消毒も明日の朝する。あんたもろもろ覚えときなさいよ、この駄エロ犬!
ふあぁ……っふ。んにゅ。じゃあおやすみなさーい……」
バタン。カンカンカン……
「はああ……ま、まあ、帰ってくれたから良しとするか……? あー、顎いてぇ……」
……ガンガンガンガン!
「おう階段!? なんだなんだひでえ!?」
バッターン!!
「りゅうじぃぃぃっっっ!!」
「バカおまえ大声出すなっ! 大家がってうげぇっ!? ボロ泣き!? なんだおまえどうした大河!」
「やっばまだがいざんじないのおっっっ!」
「……やっぱまだ解散しないの、か? って、えっ、おまえ、なんだ、こっち、近寄って……?」
「だっご!」
ぎゅむ~っ!
「うへあっ!? ……だっこ、か? じゃねえよおまえ! なななんだ、どっ、どうした、大河……?」
「……」
「た、たい、が……?」
んぱっ!
「ふー、落ち着いた! あらやだ鼻水の逆アーチが綺麗……あんた何その手?」
「へっ? あ、いや。お、俺も抱きしめかえした方が、おまえ慰めてやれるのかな……? とか」
「げ! やめてよ気持ち悪い。私を慰み者にするとかどんだけエロいの!? 欲情すんな!
あんたってばほんとにオールシーズン不眠不休で発情してるから参っちゃう。どうせなら
24時間エロってないでテロと闘え、ジャックみたいにさ」
「……怒っていいんじゃねえかな俺怒っていいんじゃねえかな俺怒っていいんじゃねえかな俺……」
「っ? どうしたの竜児、足元睨んじゃって。ぶつぶつ何言ってんの? 大家が死ぬよ? 呪いが床貫いて」
「ねえよ!ってわあバカおまえ顔近ぇよ! ったく罪の無い子どもみてえな表情しやがって……!
おまえ……ほら、涙。拭いてやるよ……で、どうした? あんなに慌てて、おまえ、なにがあったんだ?」
「……えっ? な、なにもないよ?」
「嘘こけ。あんなに泣いて取り乱してるおまえなんか久しぶりに見たぞ。3日ぶりくらいじゃねえか?」
「短か……」
「……なあ、大河。言ってみろよ。いや、言ってくれよ、何があったのか。どんなことでも隠すな。
いいか? 俺はおまえの味方だ。たとえ何があってもだ。俺に出来ることならなんだってやってやる。
俺は誓った。おまえは虎、俺は竜、永遠に並び立つと。なあ、大河。言ってくれよ、お願いだ……」
「……」
「……それとも、そんな俺だから……俺だから……言えねえこと、なのか……?」
「……」
「ああくっそ!! やっぱりそうか!? くそおおおぉぉうっ!! そいつぶっ殺してやりてえ!!
おまえ怪我は無いのか!? なんてこったちくしょおおうっ!! おまえを送ってやれなくて、
本当に………………………………………………………すっ…………すまなかったと思う……っ!」
「長っ……へっ、なに、怪我? 怪我なんてないよ……?」
「そうか、ならよく……ねえよ!! くそっ! そいつどんな奴だった!? 覚えてるか!?」
「へっ!? そいつ……?」
「そうだよ、だからそいつどんな……っ! そうか……思い出したくはねえよな、襲われたんだもんな……」
「へっ!? 襲われ……私、襲われてなんかないよ!?」
「いいんだ、大河……今は何も思い出さなくていい……ただ、起きたこと、そのことだけは俺には
隠さなくていいんだ……隠さないでくれよ、なあ、大河……」
「もーっ! だから襲われてなんかないってば!! ってか、そうね、強いて襲われたって言えば……」
「っ!? なんだ、思い出したのか!? 言えるのか! わかった指さすんだな!? そっちの方向か!?
……って俺ぇええええっっっ!? 俺を指さしてるのか!? この家にいた俺なわけねえだろ!?」
「ううん、さっきじゃなくて。チンP―!触らせたのと、あと抱きつかれそうになったこと」
「だから触らせてねえよ!? あと抱きついてきたのおまえだろ!? 冗談じゃねえぞ、ったく……
なんだ? 冗談……てことは、ほんとに、おまえ、ほんとに、外で誰にも襲われてないのか……?」
「うん!」
「危ない目にあっても、いないんだな?」
「うん! ……うぎゃっ!」
ぎゅうううううっ!
「よ、よかった……よかったああああ……おまえ、無事だったんだああああぁぁぁ……っ」
「ちょっ!? やだ! やめてよ離して! へ、変態っ! 痴漢! 現行犯! 襲われるっ!
今危ない目っ! この……っ! う、嘘……っ。な、泣いてるの? 竜児……」
「っぐ、泣いて、なんか……あれ俺泣いてるわ……心配すんな、大河、これ、安心して、
おまえ、無事で……泣いてるだけだ……心配、いらねえ……」
「っ! 竜児……っ」
「わ、わかった。離すよ。悪かった、抱きついたりして……すまねえ、本当に………………すまねえ」
「え、もう……い、いいけど、べつに……あ、謝んなくたって」
「はー、ちょっと待ってくれ。はあ……はあ……っはーっ……よし、もう大丈夫! 落ち着いた!
すまなかったな、大河。……たい、が?」
「ほら、涙……拭いたげる……」
「あ……お、おう、ありがとよ。……なんだよ、笑うなよ」
「竜児だって、笑ってるじゃない……ほんと、つられてすぐ笑うんだから……」
「いいじゃねえかべつに……ふーっ! さて……そうだ、なんだ? なんかあったぞ? あれ……
そうそう! 襲われても危ない目にもあってねえんなら、なんでおまえ泣いて帰ってきたんだ?
あ、いや、戻ってきたんだ?」
「……はあ、仕方ない。言うしかないね」
「おう、そうだよ、言えよ」
「……あのさ、竜児。聞いても……怒んない?」
「おう、そりゃもちろん。おこらねえおこらねえ」
「聞いても、すぐ帰れとか、言わない?」
「おう、言わねえ言わねえ」
「……じゃあ言う。あ、あのね? 竜児……ほんとは、私……ちょと、こわいの……」
「……」
「あのね? ここにいるとね? 平気だけど。外、出て、ひとりになったら、だめみたい……」
「……」
「りゅ、竜児……?」
「んあ~~~~~~~~~~~~~~~~~っ!! やっぱそーれなーのねーっ!? 早く言えよ!?
おまえトイレ一人で行けねえとかで、終わったら顔がフランス能面とかで、こわがってるのなんて
こちとら最初からわかってんだよ! バレてんだよ! ったく早く言えよこのバカ!」
「うーっ! 怒んないって言った!」
「ああまあいいよ! 怒って悪かった悪かった。さ、じゃあおまえ帰れ。俺、送ってくからさ」
「うーっ! すぐ帰れって言った!」
「だっておまえ、しょうがねえだろ。もうすぐ2時だぞ?」
「うーっ! この……竜児の嘘つきっっっ!」
「いや、だっておまえ……」
「嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つきいいいいいぃぃぃ――――――――っっっ!!」
「わあおまえ睨みながら泣くな泣くな! ウサギみたいに床だんだんするな! 大声もやめろ!
な、頼むから、な! 後生だ大河! お願いだ! な? 大河。大河、大河、大河……な?」
「うぐ……わ、私、帰んないもん! 今夜はここで寝る!」
「わあやっぱり……! なあ、でも大河、いやそれやばいって。一応ほら、決まりだろ?
泰子も、だめだよ~☆って、言ってたろ? な?」
「……『俺はおまえの味方だ。たとえ何があってもだ』」
「あおう……」
「……『俺に出来ることならなんだってやってやる』」
「うおう……」
「……『俺は誓った。おまえは虎、俺は竜、永遠に並び立つと』」
「おおう……け、けっこう記憶力いいのな、おまえ……」
「……嘘つき」
「ぐおう……」
「……う、そ、つ、き!」
「んおぅ……わ、わかった大河。まいった。俺の負けだ。悪かった……ほら、とりあえず、涙拭けよ」
「すんっ……拭いて」
「おう……はい、拭き拭き……これでよし、と」
「……ふんっ。で、なにしてくれるわけ。竜のあんたは虎の私に」
「はああ、誓うんじゃなかった……」
「なんですってえええええぇぇぇぇっっっ!?」
「わあ嘘ごめんすまんごめんっ! だから睨み泣きうさぎストンピングはやめてええええぇぇぇっっ!?」
「ふん! あんたがどれほど後悔しようとあの誓いは一生守ってもらうよ! 一生死ぬまで……いや!
私は天国行くから地獄行きのあんたはなにがなんでも這い上がって天国の私の傍に来ることね!
いいこと!? わかった!?」
「わあほんとに永遠だ……わ、わかったよ」
「で? わが忠実なる地獄の犬よ! いま、あんたはなにしてくれるわけ?」
「いいよ。とりあえずここで寝ろよ、おまえ」
「えっ……やたっ!」
「おまえ嬉しそうな……でもな、大河。寝ても、泊まりはナシだ」
「えぇっ!? どういうこと……?」
「おまえは今ここで眠ってもいいけど、それは泰子が帰ってくるまでだ。それまでには起こす。
そして帰ってもらう。おまえも熟睡中で辛いだろうが、俺もおまえにぶん殴られようが耐えて、
必ず起こす。その途中か、起きれなくて泰子が帰ってきたら、その時は事情を説明して、
あるいは泊まりが許可されるかもしれねえけど……まあそれは例外だ。期待するな。
まあ、これが条件……ていうか、俺に出来る限りのこと、ってやつだ、今のところの。
いいか? それで、大河」
「……うん、わかった。それでいい」
「よし! じゃあ、ふとん敷いてやるよ。泰子の部屋でいいか?」
「あっ、えーと、それはちょっと……酔っ払ったやっちゃん、別な意味でちょっとこわいの……
申し訳ないけど。万が一起きるの失敗したらの話だけど」
「ああ、いや、言いてえことはわかる。俺も小さい頃、泥酔して帰ってきた泰子に懐かれて
妙に怖かったなんてことがあった。だから気にすんな。よしじゃあ、ここかなあ……
居間もけっこう、そうなった場合、泰子に踏まれるなんて可能性もなくはないんだよな……」
「ね、竜児。私、ベッドがいい」
「……え? ベッドって……俺のか!?」
「うん」
「おまえずうずうしいにもほどが……てか、俺のだぞ!? 俺がふだん寝てるんだぞ!?
いいのかおまえ、それで」
「うん。臭そうだけど我慢する」
「わあもうおまえってほんとにえんりょのないひどいやつだなあ……臭そうとか。清潔だぞ? 一応。
まあ、いかんともしがたい染みついた匂いとか、もう俺が慣れててわかんねえとかあるだろうが、
でもまあ、それでもおまえがいいってんなら……いいよ、俺のベッドで寝ろ。俺はふとんで寝るから」
「やたっ!」
「なんだかほんと嬉しそうな、おまえ」
「そ、そう? ふとんが慣れないだけ。だからベッドのが嬉しいだけ」
「わかってるよ、言われなくても。……じゃあほら、俺の部屋、来い」
すーっ……パタン。
「わ、男くさっ」
「おまえね、部屋入っただけでそうなら、ベッドとか無理じゃねえかやっぱ?」
「大丈夫。鋼の意志で耐えてみせよう!」
「なんだろ、竜児くんちょと傷つく感じ……ほら、じゃあ、ベッド入れ」
「わあ……!」
「歓声みたいな悲鳴とか……おまえほんとに大丈夫か?」
「だっ、大丈夫だってば」
「あ、あー、そんな。顔半分までタオルケット持ってったら、きつくないか、に、匂い?」
「ほんと臭あいっ……やだやだっ……鉄と血で私は耐えてみせよう!」
「ビスマルクに俺のベッド使われるのは勘弁だよ……まあ、おまえならいい……じゃなくて、
おまえがいいんなら、いいや。じゃあ、そうだな、1時間半くらいで起こすぞ」
「うんっ!」
「よし。じゃあ、おやすみ、大河」
「お、おやすみ、竜児……って、えっ? 出てっちゃうの……?」
「そりゃそうだよ。おまえだってその方がいいだろ? 俺は居間にふとん敷いて仮眠するよ」
「えっ、あっ、そ、そう……うん……そうだね……」
「……電気、どうする? おまえんとこと違って段階ねえんだ。これがふたつ、でひとつ、でまめ球」
「い、いいよ。これで、まめ球で」
「そうか? おまえ……まあ、明るいと寝にくいしな、じゃあとりあえずこれで。おやすみー」
「お、おやすみ、竜児」
すー……パタン。
「はあ……っふあ~ぁ……さ、て、と、だ……泰子んとこの押入れからふとん出すのめんどくせえな……
ま、座布団並べてでいいか。俺が爆睡してもまずいし、寝にくいくらいでちょうど」
「りゅ、竜児……っ!」
「おう……!」
すっ!
「ど、どうした大河?」
「竜児っ、竜児っ」
「どうしたおまえ、両手出して……っ! わかった、だっこだな? いいな? だっこするぞ?」
「うんっ、うんっ、して、して……っ」
ぎゅ……っ
「ほら……なんだ、どうした大河……。こんなに震えて……こわかったのか?」
「う、うん。お、お外じゃないのに、竜児のうちなのに、こ、こわいみたい……」
「そうか、おまえほんとに……大丈夫だよ、ほら、もう、大丈夫……な?」
「う、うん。大丈夫……お、落ち着いたみたい……ありがと、竜児……」
「よし、じゃあ……離すぞ、だっこは終わりだ。いいな?」
「う、うん……」
「ほら、もう泣くな。拭いてやるから……目、腫れちまうぞ。おまえ、せっかく綺麗なんだからさ……」
「竜児……っ」
「あれ? なんだ、なんでまた涙出てくるんだ……ほら、こわくないって。な?」
「うんっ、うんっ」
「よし……じゃあ、大河。なにして欲しい?」
「えっ……?」
「言ってくれよ、大河。な?……いつもみたいにさ、命令しろよ、この地獄の犬に」
「っ! 竜児……っ」
「なーんで涙出てくるかなこれ。ほら、こわいの止めてやるから。どうして欲しいんだ、俺に」
「……ここにいて、欲しいの、竜児……」
「おう、わかった。ここにいるよ。ずっと」
「あ、ありがと、竜児……っ」
「……なーんてな。おまえがすやすや寝付いたら、俺はむこうで寝ちまうよーだ」
「えぇっ!? なによそれ!? 嘘つき! ひどいっ! 喜んで損した! あんたってば……
なんで、笑ってるのよ……?」
「……いや、涙、止まったろ? 元気でたみたいだし、おまえ」
「っ!」
「そんな驚くな、こわい思いはさせねえから。大丈夫、ここにいてやるよ。それは嘘じゃねえ」
「……ほんとう?」
「ああ。おまえが寝付いたら、俺もここの床にふとん敷いて仮眠するよ。もし……怖い夢見たら、
とにかく俺を呼べ。起きちまってても、まだ夢の中でも、どっちでもいい。怖かったら俺を呼べ。
すぐ起きてやる。夢の中にも出張ってやる」
「……そんなこと、できるの?」
「俺を信じろ。おまえが信じてくれたら、きっと出来る。やってみせる。夢の中だろうと……
そうか……泰子が出来たんだ、だから……泰子ゆずりの力で俺にも出来る。夢だろうと必ず行く。
そして怖いのがなんだろうと睨みつける。だから安心しろよ、な。さ、眠れよ。大河……」
「……睨む、だけ……?」
「うん、睨むだけ」
「ぷっ、あはは……っ」
「よし、ようやく笑ったな。いい感じだ。もう大丈夫……さ、目をつぶって……そう……
おやすみ、大河……」
「……うん。おやすみなさい、竜児……」
「……」
「……」
(ふう……かわいそうに、あんなにこわがっちまって。こいつこわいの、そんな苦手なやつじゃ
なかったはずだよな……? それにしても……なんだろな、心配すると、妙な気分も吹き飛ぶものかね……
ふー……っ。心臓うるせえよ。ばくばく言いやがって、おまえだけだよ、盛り上がってんの……)
「……クスクスっ……ふふ……」
「? た……っ」
すう……すう……
(っぶねえあぶねえ。起こすところだ。なんだ、寝ながら笑ってやがる……ったく、いつもどおりの
幸せそうなツラしやがって……よかったな、ちゃんと寝付けたな、大河……)
すー……すー……
(寝てりゃ可愛いもんなんだが……寝顔は好きだとか、言ってやらねえけど。ド変態扱いされるし。
……なんだよ、心臓うるせえって。勝手に盛り上がんな。俺は妙な気分になんかなっちゃいねえ。
妙な気分に、なん、か……だめだ、大河見てるとやばいみたいだ。いればいいんだろ、ここに。
目をそらせ……ほら、目を……目ぇそれろよこの野郎! 心臓といい、言うこときけよ身体どもが!?)
「んうっ……ううん……クスクス……」
(……寝てりゃ声まで可愛いとか、勘弁してくれよおい……耳もふさがなきゃなんねえのか……?)
「ふふ……おもしろ……覚えちゃった……」
(……寝言か。なにを覚えたんだか)
「……『櫛枝実乃梨さま』……」
「はぁ?……っぶね……」
……すぅ……すぅ……
(やっべ……思わず声出ちまった。なんだ、なんでその名前が……しかもフルネームに様つきで……?
大河なのに、みのりん、じゃなく……?)
「……汝、愛を込めし視線、投げよこせば。俺様、ボウゼン。……」
(うげえええええぇぇぇっっっ!? それっ!? これっ!? 俺の禁じられた恋愛妄想箱のっ!?
櫛枝あての禁じられたラブレターっっっ!?)
「……俺様、汝の愛に応えるべく。報復の愛の視線、ダブルフラッシュ。おお櫛枝、アイラブユー。
ホールミータイ、ホールミータイ。……」
(ぜんぶ諳んじてるうっ!?」
「……ぷくく……いきなり最初に出せないラブレター書いて……愛かぶりすぎ……」
(しかも的確な批評ぅっ!? ……ほんとにこいつ寝てんのか? 大河のやつまさか……)
「ぉぃ……ぉぃっ……」
……すぅ……すぅ……
(寝てるわ。ガン寝だ。やっぱ寝言か……驚きの寝言師だなこいつ……)
「……『実乃梨の季節』……」
(わあ二発目来たあ!?)
「……冬に耐えて。春の到来に喜び。夏の暑さにも負けず。そして季節は今、実乃梨の秋。
でも櫛枝、君の季節はやっぱり夏。……」
(わーこれ最低のやつだ……がくっ)
「……ぷくく……まんますぎ……しかも意味わかんない……」
(まったくおっしゃる通りでございます……死ねる……)
……すぅ……すぅ……
(ったく、なんだこいつの記憶力。一回見ただけでこんな……ひょっとしてまさか、俺の目を盗んで
ちょくちょく読んでやがったのか!? だとしたら許せねえ……問い詰めねえと……
あとで起こして……いやいっそ、今、起こしてやろうか? ……かわいそうだが、
これ以上は、今度は俺がもちそうにねえ……!)
「……『恋は素晴らしい』……」
(おう、三発目……っ!)
「……恋は素晴らしい、たとえ実らなくても……
恋は素晴らしい
たとえ実らなくても
このおのれの本当の大切さは
ただ恋だけが教えてくれるのだから
ひたすらに焦がれて、切なく
想いは届かずに、悲しく
実ることもなく、哀れに
そうして
誰もこのおのれを知るものはないと
ただおのれだけが知っているのだと
おのれでおのれの身をかき抱き
切なく、悲しく、哀れよと
ひりひりと、燃えるよう
ぎりぎりの、ところまで
おのれへのおのれの愛を
この上もなく強くする
ただ恋だけが、そうして
この世にふたつとて、並ぶもののない
おのれの本当の大切さを教えてくれる
だから、君よ、にもかかわらず
僕が君を愛するときは、その
この上もなく恋によって高められた
おのれへの愛を、越えて
この上もなく大切だと恋が知らせた
おのれへの愛を、越えて
それよりもなお君が大切なのだと
おのれよりもなお君が大切なのだと
それほどに想いたいのだ
ただ君だけを、僕は
それほどに想うのだ
恋は素晴らしい
たとえ実らなくても
だから僕は
君に逢いたい
……君に逢いたい……」
(……っ)
「……ちょっと、好きかな……これは……」
(……ちょっと、かよ……ったく、すげえぞ。寝言の魔女め……)
「……竜児……」
(おう!?)
「……竜児……こんな……恥ずかしいこと……よくも……」
(う、うるせえよ!?)
「……よくも……こんな……恥ずかしいこと……大切なこと……大切な……自分のこと……見せてくれて……
私を……慰めてくれて……」
(おう……春のことか? あの、おまえが木刀持って夜襲に来て、北村へのラブレターを知られて、
恥で死にそうに落ち込んでいた……あの、春の……夜の……?)
「……竜児……優しいひと……」
(大河……べつに優しかねえよ、俺は……)
「……わあ……っ!」
(っ!)
「……逢いに、来てくれたんだね……ほんとうに……私のとこに……竜児……」
(な……なんだ、よ。寝言……夢の話か……わかってねえのか……でも、そうか……よかった、
俺、おまえの夢に行けたか、大河……ったく、こわくもねえのに呼ぶなよ……)
「……なんでここにいるのよ……この駄犬……」
(ぶっ! っくはは……笑えるわ……こ、こいつ、夢の中でも俺を罵るのか……?)
「……ありがと……来てくれて……」
(……おう)
「……あのね……竜児……ほんとは……ほんとはね……私……竜児……ほんとは……」
(おう……ほ、ほんとはなんだよ大河……なんだようるせえぞ心臓! き、聞こえねえだろが……)
「……ほんとは、ね……竜児……」
(お、おう……)
「……ほんとは……こわいの……大好きなの……竜児……」
(……)
……すぅ……すぅ……
(え? ええええええぇぇぇぇ……? 大河おまえ、その、大好き……どっちにかかってんだよ!?
前か? 後ろか? どっちも大問題だぞ!? こわいのが大好きなのか? それとも……それとも、
あー……だめだ、どうにもならねえ。寝言だ。知りようがねえ……はあ……どっと疲れた……
いいや、もう、このまま畳で仮眠しよ……)
……すぅ……すぅ……
(おやすみ、大河……)
……すぅ……すぅ……
(……)
「……竜児、だよ……」
(……)
……すぅ……すぅ……
(……バカ野郎この野郎寝れるかっっっ!! どっちなんだよだから!? その竜児だよはなんなんだよ!?
ちくしょうっ! 大河っ! 俺は……俺だって! 最初から……おまえ……ほんとは……おまえ……
ほんとは、おまえより、眠かったはずなんだあああああああぁぁぁぁぁぁ―――――――――っっっ!!」
「……やだ……クスクス……」
***おしまい***
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